バリアフリーとか、もうちょっと進んでユニバーサルデザインとか、なんかそんなのがあるじゃないですか。そういうコンセプト。建築関連だと顕著なんでしょうけど、色んな立場の人にとって過ごしやすい空間や社会を作っていくみたいな。
そいうのって、心理相談をやっているとしみじみ思うんです。社会の構造とか、価値観とか、そんなものが色んな立場の人にとって過ごしやすいものになっていったらいいのに。
「病んだ現代社会の処方箋」
なんて見出しがあったりしますが、そんなものはどこにもないのですが、唯一あるとしたら抽象レベルで「色んな立場の人」が過ごしやすい、生きやすい社会になること、なんだと思います。
いわゆるひきこもり支援とか、研究ってことをやってきて、気づいたらニートっていうもっと大きな括りの状態にある人たちの支援の現場にたっていて。ただ、ただ、日々思うのはひきこもりとか、ニートっていう言葉が支援のための予算を取るため以外には、ちっとも意味がないということです。
簡単にいっちゃえばどうしてひきこもっているのか、とか、仕事をしていないのか、ってのは人それぞれなんですよ。20代ひきこもり、って言ったって、いじめが原因で小学校から学校行ってなくてひきこもり暦はや20年なんて人もいれば、大学までは出て就職したけれど会社でうまくいかなくてうつ病になってそのままひきこもったなんて人もいます。ニートって言ったって、非常に高学歴で知的に高いけれども将来への展望が持てなくてよく分かんないけど立ち止まっているという人もいれば、発達障害で社会で仕事をして生きていく上で能力的に困難を持っている人も居ます。だから「ひきこもりってなんでなっているの?」とか言って悪者探しをしたってそんな原因ありすぎて一般の人がTVのニュースでちょこっと見て理解するには煩雑すぎるし、「ニート増加の原因を探って対策を」って言って全員に同じ支援を提供したら社会参加に至るか、って言われたら、そんなことはまったくないわけですよね。
ただ、そうした中で思うのは、やっぱり色んな角度から見て、実はものすごく視野も価値観も偏狭で、変わったものや、ペースの違うものをゆるさないのが現代社会なんじゃないかということです。子どもも大人もみんな、あるべき姿と世間の画一的なペースについていくことに強迫的になっている。学生相談なんか受けていると本当に感じます。ものすごく学生たちが保守的。「絶対に失敗しない道」を選ぼうとしている。そんなもの実際にはないので、不安で焦って仕方ない。
でも、残念ながら社会なんか変わらないので、私のできることと言ったら日々の相談業務を真摯に続けていくこと。そして「一人一人違う」って言ってても支援体制的には何にも進まないので、「ひきこもり」「ニート」って概念の中に多様な人々が含まれている、せめてその典型のいくつかに分類して抽出して、報告して、支援のバラエティーとリソースを増やしていく努力をちまちますることだけです。その結果、何十万人と言われるひきこもりやニートの人たちのうち例えば自分の現場から100名社会参加ができて(1機関から100名ってすごいんですよ!!)、それが他の地域にも少し援護射撃になったりして、各地で役に立つ支援や支援リソースが広がったらいいなぁ、なんて希望的観測でも持ちながら頑張るだけです。
ただ、要は色んな原因で色んな人が立ち止まらなければいけない社会だってことは多分確かなんだろうなぁ、と思う、ということです。世の中相手に喧嘩しても仕方ないんだけどさ。
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