2007年9月 6日 (木)

スローライフは難しい

ひっそり、更新。
お久しぶりです。
なんとなく、以前にミクシーの日記に書いた奴なんだけど、久しぶりにブログの方も更新しようと思って、見返していて、なんとなく、もっとたくさんの方に伝えたい気がするテーマを。
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このお仕事をしてると、しみじみこの人にスローライフな生活をさせてあげたい!と思う人に出会います。
すごく良い雰囲気で、魅力的で、そしてひっそりとして穏やかな空気がする。

こういう人が私は大好きです。

ホント、鎌倉とか湘南あたりで、温かい人たちと自然に囲まれてゆったり生きていくのが似合っている。

が、しかし、どうやってお金が入ってくるんだ、って話ですよ。
だから、仕事しなきゃってことで、私たちのとこに相談に来るわけです。

正直そんな方々が厳しい世の中で傷付いたり、すれてく姿はみたくないなぁ、と思うわけです。
私みたいな疲れた都会人は週末スローライフ気取りで楽しくリフレッシュしてまたウィークデイは忙しい生活に戻っていけるんだけど、骨の髄までスローライフな人たちもいるんだよねぇ。

貧乏な私が言っても負け犬の遠吠えですが、あんな素敵な人たちが生きていけないなんて、世の中どうかしてますよ。

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2007年3月11日 (日)

良い一日

今日は、なんだか「この職場でこの仕事をしていて良かったな」と思う一日でした。

今日朝一番にいらした方が、次回の相談の予約を入れて帰り際に「本当に、こうやってここの方が話を聞いてくださるから助かってます」と、ちょっと涙ぐみながらお礼を行って帰られました。

そして、今日最後にいらした方。「ここの皆さんは本当に温かくて。ずっとひきこもっていて人嫌いだったけど、ここに来るようになって人っていいなって思うようになりました」。

別にお礼を言われたくて仕事をしているわけじゃないんですが、こうして日々やっていることがその方のお役にたっている、と実感できるときは本当にやっていて良かったな、と思います。
最初にいらした方は、自分なりにきちんとやってこられた方で、今も前向きにやってらっしゃる方だから、自分の力が大きくて、私たちは少し事態を整理するのを手伝ったり、アドバイスをしたり、情報提供をしたりしているだけです。それでも、ずっと一人で頑張ってきて、うまくいかないこともあって、きっと弱音を吐けない彼女は孤独を感じながら無理をしてやってきたんだと思います。そんな彼女が自分の力をちゃんと生かしていけるように、私たちが少しでも役にたっているのなら、本当に嬉しいことだと思います。

そして、最後にいらした方。ひきこもっていた方に、「外で人と出会うのも良いもんだ」と思ってもらえたのは、本当に良かったと思います。私の職場はなんとなくアットホームな雰囲気のある所で、私だけでなく他のたくさんのスタッフと彼女はお話をしています。そんな中でここが安心できて、人って信頼できるんだな、って感じてもらえて、それが社会に出ていくことに繋がれたら、本当に素敵だな、と思います。

そんなわけで。今日はとても良い一日だったのです。

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2006年12月20日 (水)

ネットワーク

私が勤めている機関では,地域の様々な機関とネットワークを組ませて頂いて相談に訪れる方に支援を行っています。

地域のネットワークとか,連携とかっていうのは,多分対人援助の業界では色々なところでトレンドなんだと思いますし,とても良いことなんだと思うのです。

でも,大事なことを忘れてはいけないような気もしています。

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これは先日のケーキ教室での後での出来事。

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2006年12月10日 (日)

生きにくいとか、そんなこと

バリアフリーとか、もうちょっと進んでユニバーサルデザインとか、なんかそんなのがあるじゃないですか。そういうコンセプト。建築関連だと顕著なんでしょうけど、色んな立場の人にとって過ごしやすい空間や社会を作っていくみたいな。

そいうのって、心理相談をやっているとしみじみ思うんです。社会の構造とか、価値観とか、そんなものが色んな立場の人にとって過ごしやすいものになっていったらいいのに。

「病んだ現代社会の処方箋」

なんて見出しがあったりしますが、そんなものはどこにもないのですが、唯一あるとしたら抽象レベルで「色んな立場の人」が過ごしやすい、生きやすい社会になること、なんだと思います。

いわゆるひきこもり支援とか、研究ってことをやってきて、気づいたらニートっていうもっと大きな括りの状態にある人たちの支援の現場にたっていて。ただ、ただ、日々思うのはひきこもりとか、ニートっていう言葉が支援のための予算を取るため以外には、ちっとも意味がないということです。

簡単にいっちゃえばどうしてひきこもっているのか、とか、仕事をしていないのか、ってのは人それぞれなんですよ。20代ひきこもり、って言ったって、いじめが原因で小学校から学校行ってなくてひきこもり暦はや20年なんて人もいれば、大学までは出て就職したけれど会社でうまくいかなくてうつ病になってそのままひきこもったなんて人もいます。ニートって言ったって、非常に高学歴で知的に高いけれども将来への展望が持てなくてよく分かんないけど立ち止まっているという人もいれば、発達障害で社会で仕事をして生きていく上で能力的に困難を持っている人も居ます。だから「ひきこもりってなんでなっているの?」とか言って悪者探しをしたってそんな原因ありすぎて一般の人がTVのニュースでちょこっと見て理解するには煩雑すぎるし、「ニート増加の原因を探って対策を」って言って全員に同じ支援を提供したら社会参加に至るか、って言われたら、そんなことはまったくないわけですよね。

ただ、そうした中で思うのは、やっぱり色んな角度から見て、実はものすごく視野も価値観も偏狭で、変わったものや、ペースの違うものをゆるさないのが現代社会なんじゃないかということです。子どもも大人もみんな、あるべき姿と世間の画一的なペースについていくことに強迫的になっている。学生相談なんか受けていると本当に感じます。ものすごく学生たちが保守的。「絶対に失敗しない道」を選ぼうとしている。そんなもの実際にはないので、不安で焦って仕方ない。

でも、残念ながら社会なんか変わらないので、私のできることと言ったら日々の相談業務を真摯に続けていくこと。そして「一人一人違う」って言ってても支援体制的には何にも進まないので、「ひきこもり」「ニート」って概念の中に多様な人々が含まれている、せめてその典型のいくつかに分類して抽出して、報告して、支援のバラエティーとリソースを増やしていく努力をちまちますることだけです。その結果、何十万人と言われるひきこもりやニートの人たちのうち例えば自分の現場から100名社会参加ができて(1機関から100名ってすごいんですよ!!)、それが他の地域にも少し援護射撃になったりして、各地で役に立つ支援や支援リソースが広がったらいいなぁ、なんて希望的観測でも持ちながら頑張るだけです。

ただ、要は色んな原因で色んな人が立ち止まらなければいけない社会だってことは多分確かなんだろうなぁ、と思う、ということです。世の中相手に喧嘩しても仕方ないんだけどさ。

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2006年9月28日 (木)

さよならから、はじまること

昼間ラヂオを聴いていたら、たまたまハナレグミの永積タカシさんが出ていて、スタジオライブで、色々歌っていました。流れてきた、サヨナラCOLOR。

"そこから旅立つことは とても力がいるよ"
”僕を忘れても いいけど自分はもう はなさないで”
”サヨナラから はじまることがたくさん あるんだよ”

とても大好きな歌。大好きな声。

そうして夕方に来たクライアントさん。2年半関わってきた方です。そして、今日が私の勤務する相談機関へは最後の来談。さっき聴いたばかりのサヨナラCOLORが頭をよぎりました。

”サヨナラから はじまることがたくさん あるんだよ”

これからも順風満帆ではないだろうけれど、これからの彼の人生にたくさんの幸せが訪れますように。今まで真面目すぎるほど真面目に、一生懸命生きてきた方だけに、「正直者はばかをみる」という世間の不条理を痛切に感じてきたケースでした。だから、頑張れ!よりも、「素敵な出会いとチャンスに恵まれますように」と祈る気持の方が大きいお見送り。

「しんみりしちゃいけないですね」

彼は、そう言ったので、私たちも笑顔でお見送り。

心理のお仕事は見送ることが仕事です。絶対なんてないから「これでもう大丈夫」なんて、どんな人でもありえない。最後はただ、去っていく背中に彼ら彼女らを信じ、幸運を願う事しか出来ない。これから起こることに寄り添うことはできないし、むしろ相談機関で相談していた事なんて彼ら彼女らは振り返りたくもないかもしれないけど、笑って見送った背中をいつまでも私は覚えていて、幸運を願っていようと思います。

”僕を忘れても いいけど自分はもう はなさないで”

見送ることが、最大の喜びの時であるこの仕事。今日はとても感慨深い日でした。

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2006年9月20日 (水)

マイペースと止まり方

「世の中が高速回転で動いていて,一度そこからなんとなく外れちゃって,どう戻って良いかわからなくなっているのがひきこもりの人なんじゃないかしら?」

昨日,あるひきこもり支援のNPOの方とお話していたときに出てきた言葉。元ネタはひきこもり支援の第一人者・斉藤環先生ですね。

そういえば,同じ心理職の友だちも何かの時に人混みの喩えをしてました。

「人混みの中でうまく歩けなくて,いっそ止まってみたんだけど,やっぱり人にぶつかっちゃって。歩くのも,止まるのも下手みたい」

そんな話でした。

なんか,世の中とっても速くて,その中で自分のペースで生きていくのはとっても大変。「再チャレンジできる」っていうのも大切なんだけど,そもそも世の中みんなが歩幅とスピードそろえて,高速で走って行かなきゃいけないこと自体,なんか変だよって思うのです。少なくとも沢山の人たちが高速で走っていかないといけないのに,自分はその中に入っていけない,と生きずらく感じている状態はかなり変だと思うのです。

そんなに急いでどこにいくの?

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2006年7月 5日 (水)

支え合うこと

先日,とある機関で働いている心理屋仲間のお友だちから電話がありました。そこは心理職は一人しかいない職場で,あとは他職種のかた。どんな職場でもあることと思いますが,人間関係の板挟み的な状況に陥り,かなり凹んでいました。そんな状況をなかなか別の職種の方には相談しにくい。で,結局一人で抱えて自宅に戻ってきた,という状況でした。

働く上で,ストレスはつきものです。でも,それに耐えるっていうのは根性論ではいかんともしがたい。「あなたが頑張れ!」では,どうにもならない。昨今の自殺者数やうつ病患者の増大(大体にしてうつ病の患者さんにはまじめで,自分を責める方が多い),若年の離職者の多さ(単に「今どきの若者根性がない!」で済まない,多忙で過酷な労働状況と低賃金という状況は見逃せません),果ては駅員への暴力問題まで,ストレスによって起こっているとされる社会現象の多さを考えれば,根性でどうにかなるものではないことは明らかです。

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2006年5月 6日 (土)

「社会不安障害のすべてがわかる本」

”障害”なんてつくと随分大仰で抵抗があるかもしれませんが、精神科や心療内科で扱われる疾患は軽いものからかなり重いものまで”障害”という言葉がつきます。ですので、あまりこの言葉は深くこだわらず、ある心理的な困難を抱えている状態を”社会不安障害”と読んでいる、くらいに考えて、ちょっと下のチェック項目を見てみて下さい。

1) 他人の視線に恐怖を感じる、「見られている」感じがたまらなくイヤ
2)人前で話すのはへっちゃら。スピーチを頼まれれば喜んで引き受けるほう
3)怒っている人を目の前にすると、激しく動揺してしまう。
4)ストレス発散法のひとつは友人とのカラオケで歌うこと。
5)人前で字を書きたくない。だって、ブルブル手がふるえてみっともないから。
6)電話での応対はまったく苦にならない。我ながらそつなくこなしていると思う。
7)緊張すると汗がダラダラ、止まらない。異常な発汗が悩みの種。
8)人の集まりが大の苦手。なにを話せばよいかわからず、いつも浮いてしまう。
9)すぎに顔が真っ赤になってしまって最悪の気分。止めようがなくて悩んでいる。
10)初対面の人にも自分から積極的に話しかけ、すぐに打ち解けられるほう。
11)レストランでの会食が苦手。ひどく緊張して、食事がのどを通らなくなってしまう。
12)自分の失態を忘れたり、不安感をなくしたりするために、アルコールに頼りがち。

上記の12項目に関するチェックから本書は始まります。ズバリ”あなたは「社会不安障害」の疑いあり?それとも、なし?”。
ちなみに上記の項目のうち1)、3)、5)、7)、8)、9)、11)、12)は当てはまれば各1点。
2)、4)、6)、10)は当てはまらなければ各1点。
0点なら社会不安障害の疑いはほとんどないよう。1点から6点なら、「苦手な状況が限られたものであっても、苦痛が非常に大きく、その状況を避けるためにあらゆる努力をしているような状態なら社会不安障害の疑いあり。本書をじっくりひもといて参考にして下さい」とのこと。7点から12点なら「社会不安障害の疑いが濃厚です。本書の内容が、きっとあなたの訳に立つはずです」と書かれています。

さて、この障害知っている人や治療者・援助者なら「随分ポップなチェック項目だな」、知らない人なら「普通にこういう人私の周りにもいる」って感じの印象では無いでしょうか?
社会不安障害とは、上記のような行動上の特徴を持つ、不安で社会的な(人と接する、スピーチをするetc・・・)場面に困難を抱える状態につけられる診断名です。

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2006年5月 3日 (水)

「『ニート」支援マニュアル」/ー改めて何かを批評することについてー

この業界の方なら言わずと知れた「育て上げネット」の工藤啓氏の著作。随分前に買ってあったんだけど、工藤さんの文章はかなり小さな専門雑誌の記事まで読ませて頂いているので、ちょっと手を抜いちゃってました。読んで改めて、読んで良かったな、と。

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2006年3月17日 (金)

青空

Dscf0041_1今日フリースペースのみんなと浜辺でお散歩&お昼寝。
みんなのくつろいだ顔が素敵。

くたくたになって帰ってきて、深夜までたまった仕事を片付ける。
そんな一日の最後に、みんなで観た今日の青空を写真におさめておいたことを思い出した。

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2006年3月13日 (月)

居場所作りの支援

私、本業は「ひきこもり支援」だと思っているのですが。
その本業の成果報告書が大詰めです。
本当は思っていた締め切りを過ぎているのですが、上司が大丈夫って言ってくれたし、本当にギリギリまで良いものを創れるように頑張ろうと思います。ワーカーさんも応援してくれて、皆様がお忙しい時間を割いて協力して下さったおかげで、随分良いものが出来そうです。

一時は雑務が多くて満足のいくものを出せないだろうな、と悲観していた部分もあったのですが、良かった!!

で、今回の成果はフリースペースとか、居場所とか言われるものが如何なる成果を持つのか?というもの。

ただ、居場所はこんな良い所です、という成果報告を出すつもりはありません。なんせ試行事業として始まって以6年分の成果を改めて振り返る、という結構な仕事。
私が着任するまでも、そしてしてからもみんなが6年かけて試行錯誤し、成果が出るよう工夫に工夫を重ねて来たものです。

ひきこもり支援で何が困難か、それをクリアするためにどういう対応や支援ができるのか、そしてその結果どんな成果があるのか?

居場所支援の困難さの1つは「場所」が「居場所」になるまでにあるのではないかと思います。ある「場所」に行って、すぐにそこを「居場所」と出来るならば、そもそもひきこもらずにすんだかもしれない、というのが、私の「ひきこもり」支援の出発点です。臨床で出会い、初めて長くつき合った「ひきこもり」のクライエントさんは居場所と呼ばれる場を何カ所か転々とした挙げ句、どこにも居場所を見いだせず、「フリースペースにさえ居場所ができないのだから、自分に社会の中に居場所などあるはずがない」とひどく悲観されていました。

フリースペース等、支援団体で良く言われるのは「相性」。もちろんそれもあります。大有りです。
でも、そうしたものを超えて「ひきこもり」の方を支援する上で、どんな団体や機関でも配慮すべきこと、クリアすべき困難はあると思います。それが、「場所」を「居場所」として感じられるようにするための支援ではないかと思うのです。出会いを、良い出会いに出来るための支援。
この部分って、案外言われていない。

今回の報告書はそんな問題意識も全面に出して、そこに挑んだ前任者やコワーカーの方々の6年分の集大成を一緒に創っていければ、と思っているのです。

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2006年2月16日 (木)

最初の「またね」と最後の「またね」

玄田先生のブログ「玄田ラヂオ(http://www.genda-radio.com/)」で、大阪A'(http://www.adash.or.jp/)のいむらさんが「またね」について書いているのを読んだ。「本当にそうだなー」と思いつつ、なんだかそれに触発されて「またね」について、色々考えてみた。そうしたら、いろんな想いの「またね」がある、って思った。

最初の「またね」はいむらさんが書いていたのと同じ。初めて、私たちのもとに来てくれた不登校・ひきこもりの方々をその日最後に見送る時、私も「またね」「またおいでね」と見送る。今日も初めてお会いする方がいて、「またおいで」、そう声をかけて見送った。また、来られますように。待ってるよ、ここが最初の一歩になりますように、そんな想いをこめて。

夕方、フリースペースのいつものみんなを見送るときには、私より先にみんなが「また来週」と言った。そんなみんなにも、最初は「またね」と私から声をかけていた。いつからだろう「またね」は私より先に、みんながいうようになった。それは、みんなが少し外に向けて歩き出している気配を感じる「またね」。

「来週はバイトで来られないので、今度は再来週に」。そんな言葉で帰っていく人も居る。そんな間隔の空く「またね」は、みんながもうすぐ私の元から離れていく、そんな嬉しい気配を感じる「またね」。でも、やっぱり、彼らはまだ不安で次にここに来られることを「またね」で確認してく。だから、こちらも「あとちょっと頑張って」、そんな支える気持ちの「またね」。

最後の「またね」は、お別れになってほしい「またね」。私たちのもとを離れ、一人で社会に歩き出した人に、「これから頑張ってね。でも、困ったことがあったらまた来て大丈夫だよ」、気兼ねなく、失敗したら、再度ひきこもることなく、ひとまずここに戻ってこられるようセイフティーネットのつもりで伝える「またね」。でも、本当はここが必要なく生きていけることを祈る、だから本当に「またね」になっては困る、そんな「バイバイ、頑張れ!」の想いのこもった、最後の「またね」。

出会いから、別れまで、色々な「またね」がある。でも、どの「またね」にも、いつもみんなを応援する気持ちがこもっているのだ。

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2006年2月11日 (土)

卒業について

自宅で夕飯を食べながらTVを観ていた。
画面には季節柄か「卒業」を歌うミュージシャンの姿と、バックには卒業式にちなんだ映像。

卒業かぁ、いいねぇ。
思い出を手に、ここからそれぞれ旅立っていく感じが。

そこで、ふと気づく。私のもとに相談に訪れている人のかなりの人が卒業とか、卒業式というものを迎えていなかったり、迎えていたにしても良い形では迎えていない。
「小学校低学年から学校行ってません」とか、そんな方がいたりする。中学校から学校に行っていない、なんて方はざらである。

考えてみたらそれってすごいことだ。学校で出会った人、体験したこと、そして、それを手に次の段階へと進むイニシエーションのような卒業。自分が体験してきたそれらの出来事が自分のなかからすっぽり消えてしまったら?

学校に行っていないことが悪いわけじゃ、もちろんない。その時点では、それが唯一の道であったり、本人にとって最善の選択であったりするわけだ。けれど、学校に行かないという選択、あるいは行けないという状態は、決して簡単に「あ、学校行ってないのね」とあっけらかんと流してよいものでもないように思う。それなりの苦痛や決意、リスクを伴って選ばれた、あるいは選ばざるを得なかった選択なのだと思う。

そうして、彼らはなにがしかの形で社会に出て行った後も、「卒業」というものの影に触れる度に自分がそうした一般的な道を歩んでこなかったことを思い出すんだろうと思う。学校に行っていなかった、それは消えることはなく、彼らが一生おつきあいせざるを得ない事実なわけで。それをどう受けとめるかは、人それぞれでしょうけれど。(それが心理的であれ、履歴書の空白とかそういったことに現れるような社会的不利益という側面であれ)

世間では「心の傷」とか、「癒し」とか、そんな言葉が溢れているけど。痛みを感じる頻度が減っても、痛みの強さが消えても、中には一生抱えていかなければならないことがあると思う。それでも生きていくのが、生きていかなければならないのが人なわけであり。

だから簡単に心理屋は「心の傷を癒す仕事です」なんて言えないわけです。「大変でもなんとかそれを抱えて少しでもラクに、願わくばちょっとでもハッピーに生きていけるように、お手伝いできたらいいな」っていうのが心理屋かなぁ、と、昨日お会いしたクライエントさんの真っ直ぐ先を見据え始めた眼差しを思い出しながら考えた金曜の夜でした。

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