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2006年5月10日 (水)

ヴィム&ドナータ・ヴェンダース写真展「尾道への旅」

ヴィム&ドナータ・ヴェンダース写真展最終日、表参道ヒルズの会場に足を運んだ。
会場には人、人、人。
そんなに写真が好きな人間が居たのかね?と皮肉の一つも言いたくなるような人の多さ。
(後で聞いたが、筑紫哲也氏の番組で取り上げられたらしい)
混んでいる展覧会は嫌いである。

それでも、この写真展は行って良かった。

以前この展覧会とヴィム・ベンダース監督の来日やそれにまつわるイベントはこのブログでも紹介しているが(GWはヒルズで写真☆☆参照)、写真家でもある監督と、写真家である妻・ドナータが尾道の旅を撮ったもの。何故尾道か?小津安二郎の「東京物語」の始まりと終わりの地・尾道を訪ねたかったのだという。

二人の写真は対照的だった。

入るとすぐに当たるのはドナータ・ヴェンダースの写真。
彼女の写真は旅における彼女の心象風景である。彼女は旅先で人と出会い、日常にふれ、何かを感じた時にシャッターを切るのだと言う。モノクロの彼女の写真は、どこか曖昧であり、現実の物理的輪郭を排している。構図の切り方、光の捉え方、白と黒のコントラストの緩さ。それは、彼女が捉え、切り取り、写真の中に表現した彼女の「感じた何か」が表現される。

それに対し、ヴィム・ヴェンダースの写真は違う。カラーで撮られた彼の写真は対象の物理的輪郭をはっきり捉えている。彼は旅先で出会った風景に意味を見出し、付与するのだと言う。街はリアルな姿のまま、意味を与えられ、写真として表現される。そして、観る側の私たちも、その中に自らの意味を見出す。印象的なのは人がほとんど映っていないことだ。誰も通っていない街。働く人の居ない工場。あたかも舞台装置のような風景。あるいは数少ない人の映っている写真でも、彼らは前方を向き、我々からはその表情はあまり見えず、何かを見ている。何を見ているのだろう?そんな写真に我々は意味をそれぞれ見出す。

人の多さにうんざりしながら会場に入って、写真を観始めて、自分の表情が変わっていくのを感じる。私は正直な人間で、自分が対峙した対象の中に意味や価値を感じられた時ーそれはある種の啓示のようでもあり、閃きのようでもあるーに、気分が変わり、表情が変わる。その対象と出会えたことに、そしてその中に意味を見出せたことに自分が動く。しかし、そんな感覚は日常の中で頻繁にあることではない。久しぶりにその感覚を楽しむことのできた写真だった。

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