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2006年3月28日 (火)

「ダイヤモンドダスト」

「ご縁」という言葉がなんとなく好きです。
「運命」ほどご大層な感じがしなくて、緩やかで、だから好きです。

今日のご縁は「南木佳士」でした。

あるクライエントさんとお話ししていた時、ふと南木佳士の「阿弥陀堂だより」に出てくる阿弥陀堂のおばあちゃんを思い出しました。その作品が話題に出たわけではないし、それを思い出したことを相手の方に伝えたわけではないのですが。後で面接の記録を書きながら、ふと南木佳士の作品でずっと読もうと思っていて、読んでいなかった作品があったのを思い出しました。

第100回芥川賞受賞作品「ダイヤモンドダスト」です。

高原の病院で働く看護士を主人公にした作品です。私とこの作品との出会いは昔教えていた塾で使っていたテキストに一部が問題として掲載されていたこと。印象に残っていたのはこんな言葉でした。

「・・・燃料がゼロになったとき、座席ごと脱出しました。パラシュートが開いてから、ふと上を見ると、星がありました。とてもたしかな配置で星があったのです」
・・・
「誰かこの星たちをアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。海に落ちてから、私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです。今、星を見ていて、あのときのやすらかな気持ちを想い出したかったのです。誰かに話すことで想い出したかったのです。」

この場面を読んだときに頭に浮かんだイメージを私はずっと覚えていて、いつか全文読んでみたいと思っていたのです。

逝く者と見送る者を描く作品でした。人生の終わりと、見送りながら生きていく人のやりきれない生。どこか温かく、ひたむきだけれども、やはり生き死にということは厳しい。

登場人物も一人一人魅力的。

かつて田舎をゆっくりと走っていた列車の運転手で年老いた主人公和夫の父、松吉。
かつてベトナム戦争でファントムのパイロットだった宣教師、マイク・チャンドラー。
夏だけアメリカから帰ってくる和夫の同級生、悦子。
見ないふりと諦めの中、日々を暮らす看護士、和夫。
そんな大人たちの足下にいる和夫の子、正史。

逝く松吉とマイク・チャンドラーの生はむしろ生き生きとしたものすら感じられ、「生きる」ということの正の側面すら見せてくれます。それは死を目前に控えたもののあり方なのか、それともある生き方をしてきた人間の人生の終わりなのか。どちらもあるように思いました。

「自分が死ぬ時期を知ってるってことは、もしかしたら幸福なことなのかも知れないって、最初は無理に思い込んでたんだけど、今ではほんとうにそういう気がするの。先に行ってます。待ってたら悪いから、とにかく先に行ってますね」

24歳で亡くなった和夫の妻の言葉。

この作品で私にとって印象的だったのは、去っていく人の方が生きることの正の側面を見せ、そしてその正の側面に死が同居している。一方で、残される主人公の人生の方が何か諦めや、倦怠、その底にある苛立といった人生の負の側面を見せていることでした。

「周囲が明るすぎるので目をこらしてみると、水車の上にキラキラ光るものが舞っていた。標高の高いこの町では、冬の寒い朝によく見られるダイヤモンドダストだった。空気中の水分が凍結してできた微細な光の粒は、いざなうように灰色の空に舞い昇っていた。
すべてのものが凍りついた庭の中で、動くものといえば、無意識に手をつなぎ合った和夫と正史の吐く白い息だけだった。冷え続ける大気は、もうすぐ二人の息も光の粒に変えそうだった。
正史が大きなくしゃみをした」

ダイヤモンドダストと共に逝く人があり、そうして残される者がいて。残される者たちの生は続いていくのです。

文体は硬質ながら、独特のあり方で表現豊かで秀逸。是非一読を。

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著者:南木 佳士

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阿弥陀堂だより



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