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2006年2月11日 (土)

卒業について

自宅で夕飯を食べながらTVを観ていた。
画面には季節柄か「卒業」を歌うミュージシャンの姿と、バックには卒業式にちなんだ映像。

卒業かぁ、いいねぇ。
思い出を手に、ここからそれぞれ旅立っていく感じが。

そこで、ふと気づく。私のもとに相談に訪れている人のかなりの人が卒業とか、卒業式というものを迎えていなかったり、迎えていたにしても良い形では迎えていない。
「小学校低学年から学校行ってません」とか、そんな方がいたりする。中学校から学校に行っていない、なんて方はざらである。

考えてみたらそれってすごいことだ。学校で出会った人、体験したこと、そして、それを手に次の段階へと進むイニシエーションのような卒業。自分が体験してきたそれらの出来事が自分のなかからすっぽり消えてしまったら?

学校に行っていないことが悪いわけじゃ、もちろんない。その時点では、それが唯一の道であったり、本人にとって最善の選択であったりするわけだ。けれど、学校に行かないという選択、あるいは行けないという状態は、決して簡単に「あ、学校行ってないのね」とあっけらかんと流してよいものでもないように思う。それなりの苦痛や決意、リスクを伴って選ばれた、あるいは選ばざるを得なかった選択なのだと思う。

そうして、彼らはなにがしかの形で社会に出て行った後も、「卒業」というものの影に触れる度に自分がそうした一般的な道を歩んでこなかったことを思い出すんだろうと思う。学校に行っていなかった、それは消えることはなく、彼らが一生おつきあいせざるを得ない事実なわけで。それをどう受けとめるかは、人それぞれでしょうけれど。(それが心理的であれ、履歴書の空白とかそういったことに現れるような社会的不利益という側面であれ)

世間では「心の傷」とか、「癒し」とか、そんな言葉が溢れているけど。痛みを感じる頻度が減っても、痛みの強さが消えても、中には一生抱えていかなければならないことがあると思う。それでも生きていくのが、生きていかなければならないのが人なわけであり。

だから簡単に心理屋は「心の傷を癒す仕事です」なんて言えないわけです。「大変でもなんとかそれを抱えて少しでもラクに、願わくばちょっとでもハッピーに生きていけるように、お手伝いできたらいいな」っていうのが心理屋かなぁ、と、昨日お会いしたクライエントさんの真っ直ぐ先を見据え始めた眼差しを思い出しながら考えた金曜の夜でした。

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