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2006年2月 3日 (金)

贋作、あるいは早急な言葉への自嘲

現在の職場に来て1年10ヶ月。不思議に思っていたことがありました。職員用の冷蔵庫に大量の「タフマン」なる栄養ドリンクが置いてある。上司が1日1本飲んでいることは知っていました。けれども、気づけばタフマンは冷蔵庫の中に増えていくのです。

そのタフマンの秘密を知ったのは昨日。

タフマンはヤクルトの製品だそう。職場には昼になるとヤクルトレディの方がいらっしゃる。その姿を見て、思わず彼は「1週間分」買ってしまうのだとか。彼曰く「知ってる?俺らが出勤する頃には、あの人たちもう外回り始めてるんだよ」。その姿を見ると、思わず買ってあげたくなってしまうとのことです。でも、7本買ったら、大体週5日しか出勤しないんだから、冷蔵庫の中にたまっていきますよね(笑)

そんなタフマンの秘密を知った昨日。

それまで日々消費されるタフマンの空き瓶を見て「○○さんオヤジだなー」としか思っていなかったのですが(笑)。こんな彼らしい優しい秘密があったのですね。

私たちは少ない情報の中で日々それを元に判断して、そうして発言しています。その判断がたまたま正しい場合もあれば、まったく的外れな場合もあります。情報の量がそもそも少ない場合もあります。けれども、情報の量がそこそこあっても、情報を処理する側の自分の問題で理解や判断を誤る場合もあります。そのことに自覚的でないと、情報が不足していたり、偏っていたりすることすら知らず、知った気になってしたり顔、なんてこともあります。そうして、その誤りが人を傷つけたり、事態を悪くしたりすることもあります。

最近、私は思います。

「私は贋作である」

状況が変わっても、どんなに大きな仕事をしたり、立派なポジションについても、私は所詮世渡り上手で器用貧乏な凡人に過ぎません。世の中には「本物」の方がいらっしゃいます。「天才」とも言える方がいます。その人たちの圧倒的な才能と実力の前で、私は自らが所詮「贋作」であることを、しみじみと思います。そして、恐らく私が贋作であることは一生涯変わらないでしょう。

でも、それは仕方のないことだし、凡人は凡人らしく努力をし、贋作であることを自覚しながら、自分のようにやっていくしかないのです。それでいいと思います。

ただ贋作なのに、置かれた状況に甘え、本物であるかのように錯覚するのはやめようと思います。私は「言葉」がたつ。そのことは私の一部であると同時に、私を私の身から離してしまうほど大きな力になりかねません。

タフマンの秘密を知った帰り道。車内で朝日新聞の広告を見ました。書かれていたのはこんなキャッチコピー。

「言葉は 感情的で、残酷で、時に無力だ。

それでも 私たちは信じている、言葉の力を」

「言葉の力」って何だろう?

ふと疑問。言葉本来の力なのか、それともマスメディアというメディアの力なのか?そもそも言葉本来の力を宿すほどの中身を伴っているのか?

発された言葉が、単なる感情的なナルシズムでないことを願います。

で、私自身。

贋作の私ですが、言葉は恐らく私に与えられた数少ない大切な表現手段。それだけに、言葉に頼りすぎ、早急に言葉を発することが、私という存在を過剰に膨らませないように。贋作であることを自覚して、誠実に言葉を紡いでいきたいものです。

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コメント

お疲れ様です。

タフマンの話し、いいですね。
生活のうるおいになる、ほろりとする話、好きです。

そんな話が聞けるのも、そんな日常の小さな喜びを共有できる、いい雰囲気が、Akiさんの人柄が呼び込んでいるのでは、と思いました。

私も先週の金曜日、電車の広告、見ました。

Akiさんが言うなら、みんな贋作のように思います。

私は、どんな人でも、いろんな事情を抱えてても、自分を信じ、毎日をすごしている人は、みな本ものであり、同時にいろんな人から貰ったもののつぎはぎのように思います。

そんなつぎはぎで、ほんものではないと思うからこそ、人はいとおしいと思います。

完璧な人なんかいない、どんなにしみったれてても、
毎日生きている人は、みな本物だと思います。

なんて生意気に書いてしまいました・・・

投稿: | 2006年2月 5日 (日) 21時27分

すいません、名前書き忘れてしまいました・・・

投稿: きゅう | 2006年2月 5日 (日) 21時28分

きゅうさん

コメントありがとうございます。
いつも励まされる言葉です。
本当に、おっしゃる通りと思います。

この記事、実は少し裏話があって。
職場で少しだけムッと来ると言うか、腹立たしいことがあったんですよ。
子どもたちのこと、一面しかしらないで、彼らの頑張っている側面を知らないで、上からああだの、こうだの言う人がいまして。
だから、私「あなたの何がそんなに偉いの?何をそんなに自信満々に??彼らの努力を知りもしないのに!」とムッときていたわけです。

でも、少し考えてみると、自分でもそういう時があるかもしれないなー、と思ったりもして。少し自分も謙虚にならなきゃいけないな、と思ったり。
それと、ちょうど偉大な人の前で私は絶対に叶わないな、と思ったことと重なって。
叶わないけど、私なりに謙虚に誠実にやっていきたいな、なんて。

私は、壊れたものとか、いびつなものとか、足りないものとか、不完全なものが昔から大好きです。
そういうものに愛着を持っています。
だから、きゅうさんのおっしゃること、すごく心にしみました。

投稿: aki | 2006年2月 6日 (月) 22時16分

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