最初の「またね」と最後の「またね」
玄田先生のブログ「玄田ラヂオ(http://www.genda-radio.com/)」で、大阪A'(http://www.adash.or.jp/)のいむらさんが「またね」について書いているのを読んだ。「本当にそうだなー」と思いつつ、なんだかそれに触発されて「またね」について、色々考えてみた。そうしたら、いろんな想いの「またね」がある、って思った。
最初の「またね」はいむらさんが書いていたのと同じ。初めて、私たちのもとに来てくれた不登校・ひきこもりの方々をその日最後に見送る時、私も「またね」「またおいでね」と見送る。今日も初めてお会いする方がいて、「またおいで」、そう声をかけて見送った。また、来られますように。待ってるよ、ここが最初の一歩になりますように、そんな想いをこめて。
夕方、フリースペースのいつものみんなを見送るときには、私より先にみんなが「また来週」と言った。そんなみんなにも、最初は「またね」と私から声をかけていた。いつからだろう「またね」は私より先に、みんながいうようになった。それは、みんなが少し外に向けて歩き出している気配を感じる「またね」。
「来週はバイトで来られないので、今度は再来週に」。そんな言葉で帰っていく人も居る。そんな間隔の空く「またね」は、みんながもうすぐ私の元から離れていく、そんな嬉しい気配を感じる「またね」。でも、やっぱり、彼らはまだ不安で次にここに来られることを「またね」で確認してく。だから、こちらも「あとちょっと頑張って」、そんな支える気持ちの「またね」。
最後の「またね」は、お別れになってほしい「またね」。私たちのもとを離れ、一人で社会に歩き出した人に、「これから頑張ってね。でも、困ったことがあったらまた来て大丈夫だよ」、気兼ねなく、失敗したら、再度ひきこもることなく、ひとまずここに戻ってこられるようセイフティーネットのつもりで伝える「またね」。でも、本当はここが必要なく生きていけることを祈る、だから本当に「またね」になっては困る、そんな「バイバイ、頑張れ!」の想いのこもった、最後の「またね」。
出会いから、別れまで、色々な「またね」がある。でも、どの「またね」にも、いつもみんなを応援する気持ちがこもっているのだ。
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コメント
以前ある施設で、やはり学校に行かずに通って来ている子ども達にさよならする時、「気をつけてね。」っていうと「嫌だ。」っていわれたのを思い出したよ。その後試行錯誤して「またね」ということにしたの。みんなではなかったけど、一人でもなかったから、意味はそれぞれ違うにしてもある種の繊細な感覚を持っているんだなぁって勉強させられたよ(笑)
こちらに来て最近感じることは、同じ人間が、それをくくる言葉(宗教・歴史・文化を含む)が違うと、意識へののぼり方が違ってきて、行動が変わってくる、(実際は違って見えるだけかな)ということ。未確定事項ながらここ一番の関心事です。
投稿: えり | 2006年2月19日 (日) 09時08分
本当に、小さな言葉でも驚くほど彼らは敏感だよね。私なんか何度も失敗してるもん(笑)
全然文化の違う所で見ると、どこが違うのかすごく見極めが難しそうな気がする。単に言葉が違うだけなのか?括る言葉が違うと中身が変わってくるのか、それともその言葉を受けて動く行動が変わってくるのか。実際はたぶんちょっとずつあるのかなー、と思いつつ。なんか見えてくるといいね。そんな報告待ってます!
投稿: あき | 2006年2月20日 (月) 22時48分