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2006年2月15日 (水)

私と仕事と

現在,初夏くらいからぼちぼち参加していた中学生のキャリア教育の研究が大詰めを迎えています。私の担当は子どもたちが参加してキャリア教育に参加してどんな風に思ったか,つまり生の声を分析することです。そんなわけで,日々子どもたちの記述と向き合いながら,つらつらと考えてみる。

ここから先,あくまでも私見であり,データにちゃんと基づいたものではないので,ご注意を。私の徒然の随想です。

私は仕事が好きです。私のことをワークホリックと思っている人が居るほど,仕事が好きです。

私は心理の中でも職場柄,また研究柄,気づけばニート対策とかそんな風な状況の渦中に居るようです。そんな私は,といえば仕事をしていない状況,というのがもうすでに想像できないほど仕事をするということが身近。

振り返れば,私は仕事の原型的なものを物心つくころから始めています。

最初は,お手伝い。私は幼い頃小さな島で民宿を営む家に育ちました。お客さんが来るのは夏季シーズンのみですが,そのシーズンに「お皿洗いを手伝う」とか,「お客さんの部屋に食事を運ぶ(そして,お客さんに「えらいね」って褒められる!)」とか,そんなことがあたりまえ。シーズンが終われば,当時としては嬉しいほどのお小遣いをもらいました。家族総出(父除く)のみならず,そのシーズンに合わせて東京から来てくれる叔母や従兄弟と共に,働くのが年中行事でした。(まぁ「働かざるもの喰うべからず」という家でしたし・・・)

残りのシーズンには祖父母があしたばを出荷用にまとめているのを横で見ていたり,一緒に畑に行ったり。母が裁縫するのを見ていましたし,父が働く職場に遊びに行ったこともありました。しかも,父は港で働いていたので,父のみならず同じ会社の人が働く姿を目にすることはよくありました。

私にとって,働くということはとても具体的で身近なことだったのです。

今,こうして子どもたちの言葉を分析していると本当におどろいてしまう。子どもたちがあまりに仕事や働くということについて知らないなぁ,と。色々な人が居て,色々な仕事があって,色々な思いで仕事をしているということを知らないんですよね。朝起きて,電車に乗って会社に行っていればみんなサラリーマンで,ドライバーも,技術屋も,営業も,経理も,事務も,研究者も全部一緒。身近な親の仕事でさえ知らない子どももたくさん居る。

確かに,今までも薄々肌でそれは感じていて。11月にあるイギリス人研究者の一家と食事をしたときに,娘さんが研究者である母の新作の論文について色々と説明してくれるのを聞いたとき,「すごい!日本でこんな子ども見たことないわ」と思ったのですが,そう思った背景には,私の中に「日本の子どもは親の仕事の内容を詳しく知らない」という薄々感じていた日ごろの感覚があったに他なりません。(って,そこの家族がイギリスの典型か,って言われたら,相当いい家庭なのかな,とも思ったわけですが)

まぁ,こうしたことは産業構造の変化だったり,といった社会の大きな変化があったりするのでしょうから,親や家庭を責めるのは,ちょっと違う気がします。ただ,こうして世の中が動き始めて,せっかくキャリア教育しよう,って流れになったので,中途半端は良くない気がします。子どもがこうした教育プログラムに参加して,「もっと仕事について知りたい!」とか,「将来これを役立てよう!」という気持ちを持ったり,あるいは「サッカー選手は無理そうだから,別の何か関連する仕事とか,新しく興味がもてる仕事は無いかな?」とか夢を変更せざるを得ない,そんなときに,それを持続させられたり,応援してもらえたり,社会に出て行ける自分に育っていくのを支えてくれる地域であり,社会であったら素敵だな,と思うわけです。

そんなことをつらつら考える今日この頃なのです。

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