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2005年12月27日 (火)

逝く

クリスマス・イブの夜、友人が亡くなりました。

人生は不平等で残酷である、そんなこと小さな頃から知っていたはずだけれど。
何で彼だったんだろう?
そう思わずにはいられません。

彼は、私が大学受験畑で講師をしていた頃の同じ科目の仲間です。
私が町田で講師として働いた3年間、ずっと一緒にやってきた人でした。
深夜まで、といわずそれこそ朝まで一緒に仕事をしていたり、焼き肉食べにいったり、飲んだり、カラオケに行ったり。温泉にも二度行きましたかね。
一緒にした仕事は数知れず。年間計画から、新しい講師の採用や小テストの打ち合わせまで、とにかくそれぞれの講義以外のほとんどの仕事を一緒にやった人でした。
用意周到で計算高い私からみると、彼は熱意にあふれ、その想いから急に無謀とも言える決断をしたり、ヒヤヒヤしてみていることも多かったなぁ、と思います。いつも、生徒に対する熱心さ、真っ直ぐさにあふれる絵に描いたような「好青年」でした。

今でも「あっこ先生、さすがです」と私の奇行(?)に、はにかんだように笑う、彼の笑顔が思いうかびます。

今年ももう終わり。いつになく静かな年越しになりそうです。

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コメント

イブの日に・・・大変でしたね。

返す言葉が見つかりませんですが、
あえてお話できるとすれば、
私が心理士の道を志したきっかけが、
友人の死でした。

本当にいい子で、
「どうしてこんないい子が死なないといけない?」という気持ちが源でした。

あと、今学校で定期的に面接ができそうな女の子が書いた小説に、以下のような言葉があり、
何かの力になれたら、と思い、書きます。


「死者も我々がまったく忘れてしまうまで、
本当に死んだのではない」
by ジョージ・エリオット


その友人がいつまでもAKIさんの胸の中で生き続け、
AKIさんの苦しいときの力になっていくことを、望み申し上げます。

投稿: きゅういち | 2005年12月29日 (木) 20時48分

きゅういちさん

コメントありがとうございます。

やっと、1週間ほどたって、彼の死を受けとめるということの意味が分かっていたようなそんな状況です。
痛恨の極み、というところでしたが、それでも明日は来るし、私は日々をすごしていかねばならないし、生きていくべきであるわけです。

静かに心が動いていくのを待とうと思っています。

投稿: aki | 2006年1月 2日 (月) 00時48分

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